仲間を求めて

こんばんわ、ねんどです。あっという間に9月も10日になりましたね。何が起きているのか、自分でも分からないような日々です。

孤独という感情

最近、孤独という感情がすごくて、自分で自分を保つのにいっぱいいっぱいになっています。自分でも不思議なくらいの状態なんですが、今、少しいろいろと見えてきたものもあるので、それを書いてみようかなと。

まず、この孤独って感覚は、たぶん誰かにそばにいてほしいとか話したいというのが本当に必要なことじゃなくて、自分を見失っているんだと思います。

自分で自分を埋められないので、他人で埋めたくなるんです。もちろん、他人がいて嬉しいのはあらゆる場合でそうだと思うんですが、やっぱりそういう状況とは毛色が違うと思っていて。他人がいないと埋まらないんです。それぐらい、自己が空虚になっていて、あらゆる行動になんら価値を見いだせなくなってます。

人生のスケールで見たとき

友達とか、気の合う人と楽しく遊ぶっていうのも一時的にはいいと思うんです。昔の自分もそうで、何の不安もなく楽しく生きられていました。ただ、3年後・5年後にその関係はどうなってるのか?長いスケールでみたときに、本当に意味のある関係性なのか。こんな風に考えて人付き合いするのは変に思いますが、重要なのは、自分にとってかわらないものは常に自分なんです。

友達は自分じゃなくて、友達なんですよね。自分があって、友達がある。その順序が変わってしまうと、自分が自分の人生を生きてないことになります。自分の人生を生きないと、自分にとって無意味と思えてしまう歴史がただ連なっていくことになります。

もちろん、有意な人生ってなんだろうかとも考えます。若いときは、「有意であろう」と決めかかって生きることが出来ましたが、選択肢がなくなり現実が見えてくるに従い、この人生が自分にとって「有意である」と決断し生きなければいけなくなるように感じます。そうでなければ、自分の為すべきことが分からず、周りに併せて生き、最後には生き詰まってしまう。

すべての可能性を生きることは出来ない

人生は短いです。信じられないほどに。あらゆる可能性が閉ざされていく中で、自己などあまりにもちっぽけな存在に感じていきます。

人は、共同体の感覚から、世界への敬意を持って死んでいくのが理想だと思います。家族のような真の繋がりを持つこと。強い信頼関係の元で構築された絆を紡いでいくこと。そのための役割を全うすること。自分という樹を太く育てていくこと。

今、何もできていない自分ではありますが、ここからがスタートだと思っています。大丈夫、何もかも楽しいフェーズは終わったかもしれませんが、これから強くなればいい。それでは!

自分の思考パターンを変えたい?活かしたい?

こんばんわ、ねんどです。

ここ数ヶ月は色々?ありまして、闇に飲まれていたのですが、、少しずつ復活してるような、そうでもないような。1日中寝てたり、楽しいことをしてても嫌な汗が出てくるような状態になってます。つらい!

で、最近youtubeをぼーっと見てる事が多くて、そこで思ったことを書いてみます。

自分の思考パターン

自分は特殊ってほどじゃないとは思うんですが(とはいえ若干特殊より?)、物事を「最適化」するのが好きでなんでも答えを求めちゃうタイプだなって最近思います。昔からゲームが大好きでやっていて、どうしたらこの条件で強くできるかとか、効率がどうとかそういうのばかり気にしてました。世界観とかも一切見てないわけじゃないんですが、あんまり目に入ってなかったかも。

ゲーマーなら多かれ少なかれ上記の傾向はあると思います。ただ、結構前から薄々虚しさみたいなものは感じてて。なんていうか、「新しいゲーム」ってものがあったらそれをどうやって壊してやろうかという感覚なんですよね。

ゲームを始めて、ルールを理解して、壊して・・次のゲーム。その繰り返しをしてました。自分が純粋に楽しさを感じることはこれなんですが、いつからか、なんというか「繋がり」がないなという気持ちになりました。自分のやってることは、コンテンツがあったらそれを無価値にして去っていくようなことだなと。

だから、いつからかそういったものを気にすることに熱意を注げなくなりました。分かったら飽きてしまう。いつか価値を見いだせなくなることがやる前からわかるようになってしまって。

配信者を見ていて

とはいえやっぱ昔はみんな若くてよく分かってなかったんで、自分がよく見てたLivetubeの配信でもLoLしながらそういう話ばかりしてました。それを楽しめてて、一番楽しかった。今でもポケモンの対戦勢とかはそういう遊び方ができてるような気がします。

ただ最近見てる人気なVtuberさんとかのゲームプレイを見てると、良いところを見出すのが上手いな、と。着眼点がすごく良いなって思います。世界の設定とか、カメラに少し映る舞台だったり、面白いと捉えられる文脈を見つけてそれを表現できてるなぁと思いました。ああ、ゲームって本当はこういうふうに楽しむんだなと思わされます。自分も全部が全部そういうのができないわけじゃないんですけどね。

こういう「良いところを見つける」って考え方は広がっていく考え方だなぁと思います。自分がやってきたのは誰よりも先に壊して、そのゲームを無価値にする活動。皆さんがやってるのは良いところを見出して広げていく活動。同じゲームを楽しんでるのにこんなに違うとは。

良いところがないわけじゃないけど

「楽しむ」「広げる」とかそういう分野じゃなければいいんですけどね。仕事なんかは自分みたいなタイプは向いてて、誰も楽しいとかないので、無限にある仕事をひたすらなくしていけばいいので。そういう意味でエンジニアは天職だと思います。ただ、ちょっと寂しい。

思うのは、自分って結局こういう人間なので、同じようにやろうと思っても脳の回路が違うと思うんです。なので、そういうふうになれたらいいと思うけど、多分なれない。100%の自分ではないと思います。ただその「温かい世界」は羨ましくて、自分もそこにいきたい。

欲を言うと、あなたの大好きな世界を壊すのが好きなんです、っていう自分がそのまま受け入れられる状態がいい。50%のふわふわな自分もいいけど、何か変わってしまったという違和感を胸に抱いてしまう気がします。

そのために、どんな風に物事を楽しんだら、うまく共感を得られるものかなぁということを考えていました。この悩みは漠然とは持ってたんですが、いろいろあって自分も変えていかないといけないと思ったりして、改めて言語化してみたり。

どうなんでしょうね~やっぱり良いところを見つける訓練をしたほうが良いのかな・・。愚痴っぽいのも大好きなんですけどやっぱ暗いし腐ってく感じがします。そのへんのバランス感覚は難しい。とりあえず、良いところに目を向けて、何かを好きになるっていう感覚は忘れないようにしたい気がします。そんな感じです!

書評:OPTION B: 逆境、レジリエンス、そして喜び

https://www.amazon.co.jp/dp/453232159X

概要

「オプション A は もう 無理 な ん だ。 なら ば、 オプション B を とことん 使い 倒そ う じゃ ない か」。

48歳で夫を亡くした、フェイスブックのCOOシェリル・サンドバーグが記した本。人が死別の悲嘆をどのように扱うか、レジリエンスとは何かについて本人の体験を元に記載されている。

ポイント

私 たち は 人生 の ネガティブ な でき ごと を さまざま な 方法 で 処理 する うち に、 レジリエンス の 種まき を する。 心理 学者 の マーティン・セリグマン は、 人 が 失敗 や 挫折 に どの よう に し て 対処 する かを 長年 研究 し、「 3つ の P」 が 苦難 からの 立ち直り を 妨げる こと を 明らか に し た(* 2)。 すなわち 自責 化( Personalization: 自分 が 悪い の だ と 思う こと)、 普遍化( Pervasiveness: ある でき ごと が 人生 の すべて の 側面 に 影響 する と 思う こと)、 永続 化( Permanence: ある でき ごと の 余波 が いつ までも 続く と 思う こと) で ある。 簡単 に いう と、 3つ の P とは ヒット 曲 の『 すべて は サイコー!』 の 裏返し、「 すべて は サイテー!」 の 状態 で ある。「 この サイテー な でき ごと は 自分 の せい だ。 何もかも が サイテー だ。 この 先 ずっと サイテー だ」 という 考え が、 頭 の なか を ぐるぐる まわり 続ける の だ。   つらい でき ごと が「 自分 ひとり の せい では ない、 すべて では ない、 ずっと では ない」 こと に 気づけ ば、 子ども も 大人 も 立ち直り が 早く なる こと を、 多く の 研究 が 示し て いる。 ネガティブ な でき ごと を 自責 化、 普遍化、 永続 化 し ない 人 は、 うつ になり にくく、 状況 により よく 対処 できる ので ある.

自分に起きた悲劇とその感情が、自分のせいではなく、すべてではなく、永続ではないことを理解する。例えそう思えなくても、その時が来ると信じる。

職場 に 戻っ て 最初 の 数日 は、 頭 が もうろう と し て い た。 フェイス ブック の COO( 最高執行責任者) に なっ て 7 年 以上 に なる と いう のに、 何もかも に 戸惑い を 覚え た。 復帰 後 はじめて の 会議 では、 みんな 何 を 話し て いる の?   それ が いったい どう し た と いう の?   としか 考え られ なかっ た。 でも いっとき 議論 に 引き込ま れ、 ほんの 1 秒間、 もしか する と 0・5 秒間 だけ 忘れ て い られ た。 死 を 忘れ た。

人は悲嘆に暮れると、すべてが無価値に感じる。それでも、初めはごく限りない時間でも、何かに没頭した時、元の価値観を思い出すときがある。

苦しみ の 渦中 に ある とき は、 その 気持ち が 永遠 に 続く よう な 気 が する もの だ。 将来 の 自分 が どんな 気持ち に なる かを 予測 する「 感情 予測」 の 研究(* 13) により、 人 は ネガティブ な でき ごと の 影響 が、 実際 より 長く 続く と 予測 し がち な こと が わかっ て いる

人は苦しみの期間を長く予測しがちである。その「苦しみ」は「想像よりは」長く続かない。

「 もはや 自分 の 力 で 状況 を 変える こと が でき ない とき、 私 たち は 自分自身 が 変わる こと を 求め られる の だ」

耐え難く・避けられない苦痛に苛まれた時、最終的には、人の価値観は強制的に変更される。

悲劇 を 経験 し た 人 たち の コミュニティ に 加わる には、 新しい―― そして 往々 に し て うれしく ない―― アイデンティティ を 受け入れ ざる を 得 ない こと が 多い。 著作家 の アレン・ラッカー は 体 が 麻痺 状態 に なっ た とき の こと を、 こんな ふう に 話し て くれ た。「 はじめ は 車 イス の 人 たち と 一緒 に いる のが いや だっ た。 あの『 クラブ』 に 入る 気 に なれ なかっ た ん だ。 自分 が 外れ 者 なのは 自覚 し て い た けど、 外れ 者 仲間 に 加わる のは ごめん だっ た」。 彼 は 一夜 に し て 考え を 変え た わけ では ない。「 4、 5 年 かかっ た。 脳 細胞 を 1 個 ずつ 移植 し て いく よう に、 この 事態 を そろそろ と 受け入れる よう に なっ た」。 そうして 適応 する うち に、 自分 の 状況 を わかっ て くれる 人 たち と 親しく なっ て いっ た の だ。 思いがけない め っけ もの が あっ た そう だ。「 とにかく 愉快 なや つらなん だ。 あんなに 毒 の ある ユーモア、 聞い た こと が ない よ」。

うーむ・・・。

その 夜 遅く、 デーブ の 母 ポーラ と 弟 ロブ が 2 階 に 来 て、 片づけ を 終える のを 手伝っ て くれ た。 2 人 は デーブ の 父 メル が 亡くなっ た 16 年前 にも、 この わびしい 作業 を 経験 し て い た。 まさか デーブ の ため に 同じ こと を する なんて、 2 人 は 考え も し て い なかっ た。 私 たち は 現実離れ し た 感覚 に 打ちのめさ れ た。 デーブ が いつも 着 て い た すり 切れ た グレー の セーター を ポーラ が 掲げる と、 私 は 泣き崩れ て ポーラ に すがりつい た。「 こんな 思い を もう一度 する なんて、 どんなに つらい でしょ う ね。 どう やっ て 耐え て いる の?   いったい どう やっ て?」。 ポーラ は 答え た。「 私 は 死な なかっ た。 メル は 死に、 デーブ も 死ん だ けれど、 私 は 生き て いる。 これから も 生き て いく わ」。 そして 私 の 肩 に 腕 を まわし て いっ た。「 あなた も 生き て いく の」。 続く 一言 に、 私 は 動転 し て しまっ た。「 ただ 生き て いく だけ じゃ ない、 いつ の 日 か 再婚 する のよ―― 私 も 祝福 に 駆けつける わね」。

このあたりの感覚については、やはり計り知れないものがある。

アレン・ラッカー も、 自身 の 麻痺 の こと を こう 書い て いる。「 あれ を『 別 の かたち の 幸運』 だ なんて、 気色 悪い 呼び 方 を し たく ない。 幸運 でも ない し、 別 の かたち でも ない。 だが、 失わ れる もの も あれ ば、 得 られる もの も ある。 そして とき には、 得 られる もの が、 やむを得ず 失わ れる もの と 同じ くらいか、 もっと 大きい こと も ある かも しれ ない

最終的に価値観の問題ではあるが・・。

感想

Option Bというタイトルそのものに救いがないような気がしてならない。実際、救いなんてものはないけれど、苦しみが永遠と続くわけでもないというべきか。「幸福」と「幸福を感じること」は異なるのかな。なんだか難しい。どんなときも自己の価値観を変革していけばよいということではある。不幸を受け入れ、常により良い物を求めるという姿勢なのかな。

ブループロトコルで取り戻す日常②

こんばんわ。ねんどです。

今回もちまちま進めてるブルプロの日記をば・・!

雑まとめ

ストーリーはよくわからんですが・・なんか倒した。アバリティアってやつはやべーやつらしい。

今第一章だったのか・・・!

ガチャ演出がなんか豪華!1回500円は高すぎ!!

染色はあたりです。黒白は2%・赤は6%しかでない・・・1回500円のガチャで・・・。やばすぎでしょ。

アバターとエステ少しやってイメチェンしてみました。

えっ今作ろうとしてたんだけどこの武器・・。現ドロとかあるんだ・・!?

おわり

クエスト多すぎてわけわからんくなってきました。さっき倒したやつまたやらされるーみたいなことも多く・・!?でもなんだかんだで21レベル。これからの気の向くままにちまちま進めてみます。

ブループロトコルで取り戻す日常①

こんにちわ、ねんどです!

最近リリースされたブループロトコルをちまちま進めてます。意外と面白いんですよね・・!

自分CBTにも参加してまして、当時はこんな感じのところまで進めてました。

もう3年前なんですね~。長いような短いような不思議な感覚です。

てきとうなまとめ

だんじょんいくぜ!

この笑顔、守りたい
てかこの釣り無駄にむずくないですか・・しかもアジつれねえ!

コログみたいなやつ。ディグダとも言う

この落石考えた人クビにしたほうがいいとおもいます。
それかIMCゲームスに転職したほうが向いてるぞ!

「無」の表情

⑩レベル武器!あんまつよくなったきはしない

汚物は消毒だああああああああああ
くっそ楽しいこのスキル(ブレイズブラスト)

あ、終わりです

最近病んでたのでちょっとずつ日常を取り戻していくぜ!お使いがつかれた心に染み渡る・・・なお画面を見てるようで見てないときがある模様。重症です。

ゲームは普通に楽しいですね!なんかアドベンチャーボードとかいっぱいあってやること無限。キャラかわいい。衣装はあんまかわいくない。ガチャ高杉ねーか!??課金したいけど課金しどこがないんですけど。

まーゆっくり病人ペースでたのしみますぅ。それじゃまた健康体の体で会おう・・アデュウ!

諦めることって可能なんだろうか

おはようございます。ねんどです。皆様いかがお過ごしでしょうか。

最近、閉塞感がすごい!強烈に何もかもやる気がわかない日々を過ごしております。いや、意外と何かしらやってはいるんですが、心がついてかないような感じで・・・。今もブログを書いてはいますが、もがいているものが勝手に出てきている感覚ですw

今回は諦めることについて考えていたことを書いてみようかなと。

今までの諦めた経験

これまでに諦めてきたこと・・って意外とあまり思いつかないんですよね。細かいレベルではあると思うんですが。うーん。

20代までの欲ってすごく感覚まかせで、自分の本当に求めていることを優先度順に並べて考えていたことではなかった気がします。いや、後から変化したこともあるのかな?

ホンキでほしいと思ったことが今まであんまなかったのかもしれません。欠陥人生な気がしてきたぞ・・・。でもそんなことで悩んだことも今までなかったので、ツケが来ているような気がします。

自分の場合大学受験も成功しましたし、就職は多少の挫折感はあれどそれなりにこなして、就職してからはまぁかなりの壁は感じましたね・・。ただ、ぜんぜん未来を描いていける状況にはありました。思い違いからくる苦しみが現実で修正されていく感覚はあったかな。

今悩んでいること

それで今は精神的な繋がりのあるパートナーが欲しいという欲があって、うまくいかねーなーだし動き出し遅すぎんだろ・・みたいな感じで結構つらくなってます。あとから出てくる欲って怖すぎますよね・・多分内面ではずっと欲してたのかな?友達で満たされてたんだとは思いますが。

これって今単体で見ればものすごい悩みに感じますが、うーん過去を振り返ってみればどこかで落とし所が出てくるものなんだろうか・・。

つまるところ諦めるって

思い描いていた夢や希望があり、それが木っ端微塵にされると激しい精神的動揺を経て価値観の再構築が行われ、次第に現実に適応していく。そのあと、そこにある喜びに気づき、次第に幸福感を得られる・・そういうことな気がします。

これ最終なんでもよくね?って気にもなってきますよね。んー、なんだろう。難しいな。確実に選択の差もあるような気がするんですが。欲望と自分の幸福って意外と関係のないところにあったりする可能性もありそうです。

結局後悔のない選択をするために、自分の本当に大事だと思っていることを心の底から見つめ直して、もしそれが乗り越えられそうな苦しみだと思うなら勇気を持って前に進んで見るということ・・ですかね。

やっぱパートナー選びってめちゃくちゃ重要だと思っていて、しかも変わっていくものでもあるんですよね。いつ亡くなるかも分からないものです。そういった物事に対して後悔のない選択なんてあるのかな。なかなか難しい。夢も見たいし、現実も見たい。二人でいる意味も見出したい。もしかしたらいない人生もぜんぜんありかも。正解なんてないけど、自分だけは保っていかないといけない。自己の確立というテーマが重たいように感じます。

日々揺らぎつつ生きる中、太い芯のようなものを見つけることはできるのかなぁ。私は毎日庭の草取りをして生きるジジイになることはできるんだろうか。悩みは尽きないですが、もがくのも楽しいと思うくらいがいいですよね。それではまた。

人生の種まき

こんばんわ。ねんどです!

今回も思ったことの投稿で、どういう人生がよいのかを最近考えていたのでその内容を書いてみようかなと。

どういう人生が幸福か

これって難しいですが、成長を感じたり関係性が維持されていくことがすごく大切なことだなって最近思います。長く続いてる関係や趣味などは本当に貴重な存在ですよね。続いてた趣味に気づいたら意欲がなくなっている場合などもありますし。

人間関係ややりたいことを始めてみて、それを長く続ける。これって実はかなり難しくて、なんとなく植物を育てるのと似てるな~と思いました。

種をまいて育てる

何かをはじめてみるのって種まきに似ていて、それがうまく成長していくことで充実感が得られるという感じがしっくり来ます。これをうまくやるのって難しくて、どこかで枯れてしまうとそれまでの関係などがなくなってしまうんですよね。

なので、しっかりとした考えで種をまいて、それが大きく育つように大事に大事に育てていく。そういう考えで物事を進めていく事が大事なんじゃないかなと。

できることなら巻き込んで

それに加えて、一人より二人や複数人で大きな木を育てていくことができればもっと充実した人生を送れる気がします。

ただ、そういった関係性ってやっぱり並のことではないので、決意や取捨選択なども含んだ決断をしていくことも必要になるのかなとも思います。育てるというのは専念するということでもありますし。色々なことに手を付けて、何にもならないというのは怖いですよね。

そんなこんなで、これからの人生で何を育てていけるだろうかと、なんてことを考えてました。短いですがこんなところで。それでは!

愛する人の喪失に人はどう向き合うのか

まさかの連投。どうも、ねんどさんです。

ちょっとこの辺の感情は言語化しておかないと前に進めない気がしたので、勢いで書いちゃいます。

喪失とひとえにいっても

いろんなパターンがありますよね。失恋や離婚・友達と疎遠になるようなことから、死別すること。

出会いがあれば別れもある。それはそうなんですが、死別というものはどうにも種類が違うようなものに思えます。

会えなくなることは一緒。でも…

長い恋愛の末に別れる。二人は一生会うことはないかもしれない。もちろん尋常ではない苦しみではあるでしょうが、これは前に進めそうな気がします。

しかし、死が二人を分かつ場合はどうでしょうか。

一時は天地をひっくり返したような状態となり、発狂し、どこかで死を受け入れ、徐々に弔いを始める。想像しようもない苦痛ですが、加えて難しいのが、忘れることを決して許さない感情だと思います。

人間にとって過去は人生そのものといっていいほどの財産です。過去を積み上げるために私たちは生きている。しかし、人の死の上になりたつ未来など考えられるでしょうか。

死を肯定的に捉え、その上に未来を構築する。それはつまり、過去を過去としないということに他ならないです。時を止め、過去と寄り添い続ける。そうするしかないと思います。

つまりその人の時はそこで止まってしまうのです。そして未来を生きる私たちはそこに立ち寄る術を何も持ち合わせていない。たまに遠くから呼びかけることはできますが、それくらいしかできません。過去の上ではなく、横に寄り添って生きる人たちになるんだと思います。

止まった時が不幸な訳ではない

愛した記憶を大切にし、慈しみながら生きる。悲しみはありますが、それはそれで良い人生なのかもしれません。

とはいえ、そうでない人間が後から同じ道を歩んでいける。そういった未来を描くことも、また難しいのかなと感じています。失ったものを取り返すことはできないのですから。

ただ、寄り添うことはできると思います。未来を描くのではなく、未来を見せてあげる。そんな感じでしょうか。なかなか難しいことだとは思いますし、私がどうこう語れる話ではないのですが、そんなことを考えていたのです。少し暗い話でしたが、今回はこのへんで!

自分のだいじなことってなあに?

こんばんわ。ねんどです!

今回もお悩み系の話題ですが、自分がこれから何をしたいのか、何をできたら満足なのかを考える必要があるのかなぁと思いました。

で、結構これって難しいですよね。人生の目的はこれだー!みたいなものを大上段から設定してもだいたい違ってたりして。

集中できること=楽しいこと

これをやろう!みたいな疲れる感覚よりも、大事にしたいのは「集中できること」かなと思いました。例えばどんなことがあるかというと・・

  • 新しいゲームにハマってるとき
  • コーディングに悩んだり、ゴリゴリに書いてるとき
  • 友達と一緒にゲームしてるとき
  • 楽器を弾いてるとき
  • 恋人といるとき(これは集中じゃない?w)

うん、やっぱりなにかに集中するっていいですよね。そして、それ中心で人間関係の輪を広げていく。それがまた自分を集中させてくれる。そういうことが理想なんじゃないかなって思いました。

集中するにはどうしたら?

ただ、これって意外と難しくて。ふ、と無気力になったりするときもありますよね。

最終的にこれって、感情のなせる技なんじゃないかなと思います。つまり、なにかストレスなどがあると集中できない状態になる。精神的な安定と健康があれば、それが集中をもたらしてくれる。

また、ストレスっていうのも難しくて、身体からくるものもあれば、自分の思い描いている理想や現実のギャップから生まれるものもあります。自分はいま年齢から来る壁みたいなものを感じて、それが強いストレスを生んでたりします。乗り越えるべき壁を後から越えようとすると、非常に苦しいです。

なので、どうするべきかというと、集中を大事にする。そのために、自分のやりたいことをきちんと考えて、集中力をそこにつぎ込んで壁をこえ、後から悩まないようにする。そういうことなんじゃないかなと。

まあ、先のことを考えるのは難しいけど・・

たとえば自身の場合、一番大切なことはゲームを作っていくことだと思って生きてましたが、意外とこれは達成できてないことに後悔はないです。むしろ、これからも作っていけることに嬉しさを感じます。

ただ、もっとそこで色んな人と関わってぶつかりながら、人間関係を構築できていればと思うところはあります。自分の場合、閉じた関係でいろいろ失敗したこともあり、逃げていたんですよね。

最終的にはやはり人になると。そう今は思います。そして、それを作るのは、自分の集中です。その熱量こそ人に希望を与えられるものだと思います。これからはそれを大事にしていきたいですね。では、今日はこのへんで!アデュウ・・・

得ること、失うこと

こんにちわ。ねんどです!

最近いろいろあってとてもナイーブになっている私です。いえ、何か出来事が原因というわけでなく、ここ数年直に感じていたことではありますが・・・。

地に足がつかないような気持ち

私はもう今年で32になるのですが、恥ずかしながら何一つ不自由のないような生活をしていて、学生や社会人になりたての頃に多少の苦境はありましたけれど、平和に過ごしてきたと思います。

現状、社会的な基盤は安定していると言ってよく、恵まれていると思える反面、何か人生の芯みたいなものを見失っている感覚があります。

心のつながり

遊びの友達を見つけることは簡単なんですが、そういったものに虚しさを感じます。薄い繋がり…今まで沢山の関係(人から見ると少ないかもしれませんが)があり、それらはその時に楽しい感覚を共有していたものであり、人生のワンシーンを共にするという決意に満ちたものではなかったと感じています。

私は根が厭世的な部分もあり、ネガティブな自分を肯定的に捉えているちょっと特殊なタイプで、対人関係に置いても他人とは一区切り置いて付き合っていたと思います。すべての人は自分が一番大事で、自分に利するから付き合う、そうでないなら離れることを否定しないという感覚ですね。

ただ、この歳になると自己というものがだいぶ曖昧になってきていて、自分で自分を定義することが難しくなってきました。他者と接することで自己を認識するような感覚が強く、旧友といるときだけ自分が帰ってきたような気持ちになります。

そうなってから、過去の繋がりや関係をもっと大事にすればよかったと考えるようになりました。

失うことは悪いことか

失うことの苦しみはできれば味わいたくないものだと思います。ただ、これから早かれ遅かれいろいろなものを失っていくでしょう。それは情熱だったり健康だったり大事な人だったり。得ることがすべてだった20代までとは違う景色にいると感じています。

社会的成功を収めた人間が果たして幸福なのか、という疑問は前から持っていて、それはイエスでありノーでもあると思います。私達にとって一番大切なものは時間で、これはどのような人間でも変わらないものです。同じ時間で何を感じどう生きるかという点において、どうしたら充足を得られるのか。ここに関しては一概に言えるものではないですよね。

最も幸福な人生とは一つ、何かを得て、それを失うまでの期間が長いことなのかもしれません。ですが、いつ失うかは神のみぞ知るともいえ、我々ができることはあまりないかもしれませんが。あとは、得たものが多ければ喪失の苦しみを按分できるかもしれません。

他方で、喪失を人生のシーケンスに組み込む…という考え方もあります。喪失は当人にとって決して肯定できるものではないでしょうから、その上に成り立つ人生とは一体何なのか…これはとても難しい問題だと思います。悲観することが正しいとも思いませんが、その肯定は自身を否定するような厳しい選択になります。

どう生きるのが正解?

難しいですが、やはりその時どきで必要としていることをただ集中してやりきることでしょうか。失うことは怖いですが、得られないのはもっと怖いことかもしれません。

長い目で見た人間関係の構築というのが自分としては課題になってきそうです。なかなか難しそうですが、今が自分にとって一番若いときですしね。頑張っていきましょう!