まさかの連投。どうも、ねんどさんです。
ちょっとこの辺の感情は言語化しておかないと前に進めない気がしたので、勢いで書いちゃいます。
喪失とひとえにいっても
いろんなパターンがありますよね。失恋や離婚・友達と疎遠になるようなことから、死別すること。
出会いがあれば別れもある。それはそうなんですが、死別というものはどうにも種類が違うようなものに思えます。
会えなくなることは一緒。でも…
長い恋愛の末に別れる。二人は一生会うことはないかもしれない。もちろん尋常ではない苦しみではあるでしょうが、これは前に進めそうな気がします。
しかし、死が二人を分かつ場合はどうでしょうか。
一時は天地をひっくり返したような状態となり、発狂し、どこかで死を受け入れ、徐々に弔いを始める。想像しようもない苦痛ですが、加えて難しいのが、忘れることを決して許さない感情だと思います。
人間にとって過去は人生そのものといっていいほどの財産です。過去を積み上げるために私たちは生きている。しかし、人の死の上になりたつ未来など考えられるでしょうか。
死を肯定的に捉え、その上に未来を構築する。それはつまり、過去を過去としないということに他ならないです。時を止め、過去と寄り添い続ける。そうするしかないと思います。
つまりその人の時はそこで止まってしまうのです。そして未来を生きる私たちはそこに立ち寄る術を何も持ち合わせていない。たまに遠くから呼びかけることはできますが、それくらいしかできません。過去の上ではなく、横に寄り添って生きる人たちになるんだと思います。
止まった時が不幸な訳ではない
愛した記憶を大切にし、慈しみながら生きる。悲しみはありますが、それはそれで良い人生なのかもしれません。
とはいえ、そうでない人間が後から同じ道を歩んでいける。そういった未来を描くことも、また難しいのかなと感じています。失ったものを取り返すことはできないのですから。
ただ、寄り添うことはできると思います。未来を描くのではなく、未来を見せてあげる。そんな感じでしょうか。なかなか難しいことだとは思いますし、私がどうこう語れる話ではないのですが、そんなことを考えていたのです。少し暗い話でしたが、今回はこのへんで!