月別アーカイブ: 2023年5月

人生の種まき

こんばんわ。ねんどです!

今回も思ったことの投稿で、どういう人生がよいのかを最近考えていたのでその内容を書いてみようかなと。

どういう人生が幸福か

これって難しいですが、成長を感じたり関係性が維持されていくことがすごく大切なことだなって最近思います。長く続いてる関係や趣味などは本当に貴重な存在ですよね。続いてた趣味に気づいたら意欲がなくなっている場合などもありますし。

人間関係ややりたいことを始めてみて、それを長く続ける。これって実はかなり難しくて、なんとなく植物を育てるのと似てるな~と思いました。

種をまいて育てる

何かをはじめてみるのって種まきに似ていて、それがうまく成長していくことで充実感が得られるという感じがしっくり来ます。これをうまくやるのって難しくて、どこかで枯れてしまうとそれまでの関係などがなくなってしまうんですよね。

なので、しっかりとした考えで種をまいて、それが大きく育つように大事に大事に育てていく。そういう考えで物事を進めていく事が大事なんじゃないかなと。

できることなら巻き込んで

それに加えて、一人より二人や複数人で大きな木を育てていくことができればもっと充実した人生を送れる気がします。

ただ、そういった関係性ってやっぱり並のことではないので、決意や取捨選択なども含んだ決断をしていくことも必要になるのかなとも思います。育てるというのは専念するということでもありますし。色々なことに手を付けて、何にもならないというのは怖いですよね。

そんなこんなで、これからの人生で何を育てていけるだろうかと、なんてことを考えてました。短いですがこんなところで。それでは!

愛する人の喪失に人はどう向き合うのか

まさかの連投。どうも、ねんどさんです。

ちょっとこの辺の感情は言語化しておかないと前に進めない気がしたので、勢いで書いちゃいます。

喪失とひとえにいっても

いろんなパターンがありますよね。失恋や離婚・友達と疎遠になるようなことから、死別すること。

出会いがあれば別れもある。それはそうなんですが、死別というものはどうにも種類が違うようなものに思えます。

会えなくなることは一緒。でも…

長い恋愛の末に別れる。二人は一生会うことはないかもしれない。もちろん尋常ではない苦しみではあるでしょうが、これは前に進めそうな気がします。

しかし、死が二人を分かつ場合はどうでしょうか。

一時は天地をひっくり返したような状態となり、発狂し、どこかで死を受け入れ、徐々に弔いを始める。想像しようもない苦痛ですが、加えて難しいのが、忘れることを決して許さない感情だと思います。

人間にとって過去は人生そのものといっていいほどの財産です。過去を積み上げるために私たちは生きている。しかし、人の死の上になりたつ未来など考えられるでしょうか。

死を肯定的に捉え、その上に未来を構築する。それはつまり、過去を過去としないということに他ならないです。時を止め、過去と寄り添い続ける。そうするしかないと思います。

つまりその人の時はそこで止まってしまうのです。そして未来を生きる私たちはそこに立ち寄る術を何も持ち合わせていない。たまに遠くから呼びかけることはできますが、それくらいしかできません。過去の上ではなく、横に寄り添って生きる人たちになるんだと思います。

止まった時が不幸な訳ではない

愛した記憶を大切にし、慈しみながら生きる。悲しみはありますが、それはそれで良い人生なのかもしれません。

とはいえ、そうでない人間が後から同じ道を歩んでいける。そういった未来を描くことも、また難しいのかなと感じています。失ったものを取り返すことはできないのですから。

ただ、寄り添うことはできると思います。未来を描くのではなく、未来を見せてあげる。そんな感じでしょうか。なかなか難しいことだとは思いますし、私がどうこう語れる話ではないのですが、そんなことを考えていたのです。少し暗い話でしたが、今回はこのへんで!

自分のだいじなことってなあに?

こんばんわ。ねんどです!

今回もお悩み系の話題ですが、自分がこれから何をしたいのか、何をできたら満足なのかを考える必要があるのかなぁと思いました。

で、結構これって難しいですよね。人生の目的はこれだー!みたいなものを大上段から設定してもだいたい違ってたりして。

集中できること=楽しいこと

これをやろう!みたいな疲れる感覚よりも、大事にしたいのは「集中できること」かなと思いました。例えばどんなことがあるかというと・・

  • 新しいゲームにハマってるとき
  • コーディングに悩んだり、ゴリゴリに書いてるとき
  • 友達と一緒にゲームしてるとき
  • 楽器を弾いてるとき
  • 恋人といるとき(これは集中じゃない?w)

うん、やっぱりなにかに集中するっていいですよね。そして、それ中心で人間関係の輪を広げていく。それがまた自分を集中させてくれる。そういうことが理想なんじゃないかなって思いました。

集中するにはどうしたら?

ただ、これって意外と難しくて。ふ、と無気力になったりするときもありますよね。

最終的にこれって、感情のなせる技なんじゃないかなと思います。つまり、なにかストレスなどがあると集中できない状態になる。精神的な安定と健康があれば、それが集中をもたらしてくれる。

また、ストレスっていうのも難しくて、身体からくるものもあれば、自分の思い描いている理想や現実のギャップから生まれるものもあります。自分はいま年齢から来る壁みたいなものを感じて、それが強いストレスを生んでたりします。乗り越えるべき壁を後から越えようとすると、非常に苦しいです。

なので、どうするべきかというと、集中を大事にする。そのために、自分のやりたいことをきちんと考えて、集中力をそこにつぎ込んで壁をこえ、後から悩まないようにする。そういうことなんじゃないかなと。

まあ、先のことを考えるのは難しいけど・・

たとえば自身の場合、一番大切なことはゲームを作っていくことだと思って生きてましたが、意外とこれは達成できてないことに後悔はないです。むしろ、これからも作っていけることに嬉しさを感じます。

ただ、もっとそこで色んな人と関わってぶつかりながら、人間関係を構築できていればと思うところはあります。自分の場合、閉じた関係でいろいろ失敗したこともあり、逃げていたんですよね。

最終的にはやはり人になると。そう今は思います。そして、それを作るのは、自分の集中です。その熱量こそ人に希望を与えられるものだと思います。これからはそれを大事にしていきたいですね。では、今日はこのへんで!アデュウ・・・

得ること、失うこと

こんにちわ。ねんどです!

最近いろいろあってとてもナイーブになっている私です。いえ、何か出来事が原因というわけでなく、ここ数年直に感じていたことではありますが・・・。

地に足がつかないような気持ち

私はもう今年で32になるのですが、恥ずかしながら何一つ不自由のないような生活をしていて、学生や社会人になりたての頃に多少の苦境はありましたけれど、平和に過ごしてきたと思います。

現状、社会的な基盤は安定していると言ってよく、恵まれていると思える反面、何か人生の芯みたいなものを見失っている感覚があります。

心のつながり

遊びの友達を見つけることは簡単なんですが、そういったものに虚しさを感じます。薄い繋がり…今まで沢山の関係(人から見ると少ないかもしれませんが)があり、それらはその時に楽しい感覚を共有していたものであり、人生のワンシーンを共にするという決意に満ちたものではなかったと感じています。

私は根が厭世的な部分もあり、ネガティブな自分を肯定的に捉えているちょっと特殊なタイプで、対人関係に置いても他人とは一区切り置いて付き合っていたと思います。すべての人は自分が一番大事で、自分に利するから付き合う、そうでないなら離れることを否定しないという感覚ですね。

ただ、この歳になると自己というものがだいぶ曖昧になってきていて、自分で自分を定義することが難しくなってきました。他者と接することで自己を認識するような感覚が強く、旧友といるときだけ自分が帰ってきたような気持ちになります。

そうなってから、過去の繋がりや関係をもっと大事にすればよかったと考えるようになりました。

失うことは悪いことか

失うことの苦しみはできれば味わいたくないものだと思います。ただ、これから早かれ遅かれいろいろなものを失っていくでしょう。それは情熱だったり健康だったり大事な人だったり。得ることがすべてだった20代までとは違う景色にいると感じています。

社会的成功を収めた人間が果たして幸福なのか、という疑問は前から持っていて、それはイエスでありノーでもあると思います。私達にとって一番大切なものは時間で、これはどのような人間でも変わらないものです。同じ時間で何を感じどう生きるかという点において、どうしたら充足を得られるのか。ここに関しては一概に言えるものではないですよね。

最も幸福な人生とは一つ、何かを得て、それを失うまでの期間が長いことなのかもしれません。ですが、いつ失うかは神のみぞ知るともいえ、我々ができることはあまりないかもしれませんが。あとは、得たものが多ければ喪失の苦しみを按分できるかもしれません。

他方で、喪失を人生のシーケンスに組み込む…という考え方もあります。喪失は当人にとって決して肯定できるものではないでしょうから、その上に成り立つ人生とは一体何なのか…これはとても難しい問題だと思います。悲観することが正しいとも思いませんが、その肯定は自身を否定するような厳しい選択になります。

どう生きるのが正解?

難しいですが、やはりその時どきで必要としていることをただ集中してやりきることでしょうか。失うことは怖いですが、得られないのはもっと怖いことかもしれません。

長い目で見た人間関係の構築というのが自分としては課題になってきそうです。なかなか難しそうですが、今が自分にとって一番若いときですしね。頑張っていきましょう!