諦めることって可能なんだろうか

おはようございます。ねんどです。皆様いかがお過ごしでしょうか。

最近、閉塞感がすごい!強烈に何もかもやる気がわかない日々を過ごしております。いや、意外と何かしらやってはいるんですが、心がついてかないような感じで・・・。今もブログを書いてはいますが、もがいているものが勝手に出てきている感覚ですw

今回は諦めることについて考えていたことを書いてみようかなと。

今までの諦めた経験

これまでに諦めてきたこと・・って意外とあまり思いつかないんですよね。細かいレベルではあると思うんですが。うーん。

20代までの欲ってすごく感覚まかせで、自分の本当に求めていることを優先度順に並べて考えていたことではなかった気がします。いや、後から変化したこともあるのかな?

ホンキでほしいと思ったことが今まであんまなかったのかもしれません。欠陥人生な気がしてきたぞ・・・。でもそんなことで悩んだことも今までなかったので、ツケが来ているような気がします。

自分の場合大学受験も成功しましたし、就職は多少の挫折感はあれどそれなりにこなして、就職してからはまぁかなりの壁は感じましたね・・。ただ、ぜんぜん未来を描いていける状況にはありました。思い違いからくる苦しみが現実で修正されていく感覚はあったかな。

今悩んでいること

それで今は精神的な繋がりのあるパートナーが欲しいという欲があって、うまくいかねーなーだし動き出し遅すぎんだろ・・みたいな感じで結構つらくなってます。あとから出てくる欲って怖すぎますよね・・多分内面ではずっと欲してたのかな?友達で満たされてたんだとは思いますが。

これって今単体で見ればものすごい悩みに感じますが、うーん過去を振り返ってみればどこかで落とし所が出てくるものなんだろうか・・。

つまるところ諦めるって

思い描いていた夢や希望があり、それが木っ端微塵にされると激しい精神的動揺を経て価値観の再構築が行われ、次第に現実に適応していく。そのあと、そこにある喜びに気づき、次第に幸福感を得られる・・そういうことな気がします。

これ最終なんでもよくね?って気にもなってきますよね。んー、なんだろう。難しいな。確実に選択の差もあるような気がするんですが。欲望と自分の幸福って意外と関係のないところにあったりする可能性もありそうです。

結局後悔のない選択をするために、自分の本当に大事だと思っていることを心の底から見つめ直して、もしそれが乗り越えられそうな苦しみだと思うなら勇気を持って前に進んで見るということ・・ですかね。

やっぱパートナー選びってめちゃくちゃ重要だと思っていて、しかも変わっていくものでもあるんですよね。いつ亡くなるかも分からないものです。そういった物事に対して後悔のない選択なんてあるのかな。なかなか難しい。夢も見たいし、現実も見たい。二人でいる意味も見出したい。もしかしたらいない人生もぜんぜんありかも。正解なんてないけど、自分だけは保っていかないといけない。自己の確立というテーマが重たいように感じます。

日々揺らぎつつ生きる中、太い芯のようなものを見つけることはできるのかなぁ。私は毎日庭の草取りをして生きるジジイになることはできるんだろうか。悩みは尽きないですが、もがくのも楽しいと思うくらいがいいですよね。それではまた。